ブン・カルノことスカルノはインドネシアが日本軍に占領された時、なぜ対日協力に踏み切ったのか。その経緯とはどのようなものだったのか。1942年初頭、日本軍がインドネシアへ進駐した時、ブン・カルノはスマトラにいた。オランダに流刑に処されたスカルノはエンデに始まり、フローレス、ベンクルと流刑地を転々とした。スカルノは当時、妻インギット・ガルナシとともに13年間にわたってジャワ島外へ追放されていた。 ...
カテゴリ:インドネシア現地報道(論説)
【釜山・慰安婦像設置問題】「韓日関係に摩擦」-インドネシア・コンパス紙社説(2017年1月9日)
韓国における日本軍の性暴力問題が両国関係に再び摩擦を生じさせている。日本政府は先週、駐韓大使と釜山総領事を一時帰国させると同時に、経済協力に関するあらゆる協議を中断した。これは、第二次世界大戦時に日本軍による性奴隷の犠牲となった女性を支える活動家が釜山の日本総領事館前に慰安婦像を設置したためだ。 ...
「トランプ時代の日米関係」-インドネシア・コンパス紙社説(2016年12月9日)
ドナルド・トランプが大統領に選出されたことで、日本は新たな困難に直面した。これまで培ってきたアメリカとの友好関係の再構築を余儀なくされたためだ。日本にとって、アメリカは最重要パートナーであり、東アジア地域における中国とロシアの優位を抑える上で最も頼れる存在でもある。しかし、トランプが選挙期間中に用いたレトリックは日本に懸念を抱かせるものだった ...
【安保法と軍国主義】「日本で新たな安全保障関連法が成立」-インドネシア・コンパス紙社説(2015年9月19日)
多くの人々の懸念が現実のものとなった。9月17日木曜日、日本の新たな安全保障法案が参議院で可決された。新たな安全保障法案が参議院で可決されたことで、日本は再び自国軍隊の海外派遣が可能となった。これは太平洋戦争(1941‐1945)で日本がアメリカおよび連合国に敗戦して以降、初めてのことだ。 ...
【抗日戦勝70周年】「中国による歴史の歪曲」-インドネシア・コンパス紙(2015年9月2日)
9月3日木曜日、第二次世界大戦の枢軸・ファシスト国家(ドイツ、イタリア、日本) に対する中華人民共和国戦勝70周年記念式典が大規模な軍事パレードを伴って開催されたが、この行事は実権を握る中国共産党の扇動およびプロパガンダの一環として理解されるべきだろう。この大規模軍事パレードでは第二次世界大戦の終結よりも日本の降伏を祝うことに主眼が置かれていた。 ...
【抗日戦勝70周年式典】「中国は度重なる軍事力の誇示をやめよ」-インドネシア・コンパス紙社説(2015年9月5日)
9月3日木曜日、中国は第二次世界大戦終結70周年の記念日に自らの軍事力を示した。中国は中距離弾道ミサイルDF-21dやその他の弾道ミサイルを含めた兵器を披露することで自らの軍事力を誇示した。だが、実際には中国が強大な軍事力を有することに特筆すべき点はない。2014年に世界第2位の経済大国となった同国にとって、巨額の軍事予算が割り当てられるのは当然のことであるためだ。 ...
【原爆投下から70年】「忘れえぬ悲劇」-インドネシア・コンパス紙社説(2015年8月11日)
70年前に起こった出来事だ。しかし、この悲劇は今もなお忘れ去られることはない。まさしく人類史上に残る暗黒の一ページとなっている。この悲劇の規模はおぞましいほどの犠牲者数に表れている。1945年8月6日、アメリカが広島に投下した一発目の爆弾「リトル・ボーイ」によって、14万人の命が奪われた。その三日後である1945年8月9日には二発目の爆弾「ファット・マン」が長崎に投下され、7万4千人から24万人が犠牲となった。このうち軍人は150人に過ぎず、犠牲者の大半は民間人だった。 ...
【デフレ脱却か】「原油に救われた日本」-インドネシア・コンパス紙社説(2015年4月24日)
世界的な原油価格の下落は日本を含む多くの国々に恩恵をもたらした。これはコンパス紙が4月23日付けで報じたものだ。2014年第4四半期に日本は不況からの脱却に成功したが、これは当然、2014年6月以来、60パーセント以上も下落した原油価格の低迷が主な要因と認めなければならない。日本は国内石油需要の99パーセントを輸入に頼る一方で、エネルギー需要の50パーセントを現在も石油が占めている。したがって、原油の供給や価格の変動によって、日本経済は極めて大きな影響を被ることが分かる。 ...
【バンドン会議】「アジア・アフリカ会議60年記念式典に思う」-インドネシア・コンパス紙社説(2015年4月11日)
1995年のアジア・アフリカ会議の成果であるバンドン十原則は、急速な勢いで駆ける現代世界にあって、今もなお意味を持ちうるのだろうか。こうした疑問が浮かぶのも当然のことだ。AA会議は60年前に開催された。当時の世界情勢は現在とは全く異なる。世界は二極体制、すなわち東西陣営、共産主義と資本主義に支配されていた。帝国主義や植民地主義の影響もまだ色濃く、数多くの国では独立を果たせぬままに、貧困、無知、不平等が広がっていた。人種差別を理由とした多くの対立も発生していた。 ...
【追悼】「リー・クアンユー、歯に衣着せぬ友人」-インドネシア・レプブリカ紙(2015年3月24日)
1964年7月21日、シンガポールは祝賀ムードに包まれていた。数千人のマレー系の若者たちが預言者ムハンマド生誕を祝うために、その日の朝からパレードを開催していた。日が沈み始めると、辺りの様子が騒がしくなった。その時、マレー系の若者の一団が、道端でパレードを見ていた中国系の若者と小競り合いを始めていた。 ...