プラムディヤ評伝の執筆、日本人教授がブロラを訪問
JPNN.COM(2016年10月16日)

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【写真は大東文化大学の押川典昭教授とブロラ県のアリフ・ロフマン副知事。押川教授はプラムディヤ・アナンタ・トゥールの評伝執筆のためにブロラを訪問した】

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ブロラ―大東文化大学の押川典昭教授が中部ジャワ州ブロラを訪問した。今回の訪問はインドネシアの文豪プラムディヤ・アナンタ・トゥールの足跡を調査するためのものだ。

押川教授は10月13日木曜日にブロラに到着した。翌14日金曜日にはプラムディヤゆかりの地を見て回った。押川教授はまた、プラム(プラムディヤの愛称)と家族の墓、旧ブロラ駅とバンクル駅なども訪問した。

押川教授はプラムディヤの実弟であるスシロ・トゥールとその息子と行動を共にした。訪問の成果は今後、プラムディヤに関する評伝としてまとめられるという。

一行はまず、プラムディヤの生家を訪れた。続いて、プラムディヤの父であるマストゥールが設立したブロラ国立第五中学校を訪問した。この学校は以前ブディ・ウトモ学校という名称だった。教授はまたマストゥールのモニュメントも見学した。

中学校を後にした一行は、そのまま学校前にあるプラムディヤの親類の家へ向かった。押川教授はその後、ブロラ英雄墓地にあるプラムディヤと家族の墓を訪問した。そこにはプラムディヤの墓と家族の墓 八基が並んでいた。そのうちのひとつがプラムディヤが小説『浜の娘』で描いた祖母のものだ。

墓地を出ると、一行はバンクル橋と旧ブロラ駅に向かった。橋に向かう道中では、急斜面や茂みをかき分けて進まなければならなかった。橋を下りて川岸に着くと、押川教授は硬貨を投げ入れた。これはブロラを再び訪れることができるようにという願いが込められている。

今回の訪問はプラムディヤ評伝の執筆に向けた調査であると押川教授は語る。評伝の執筆にあたって資料を入手するため、直接ブロラに出向く必要があったという。「ブロラの訪問は今回で二度目となる。評伝の第一章はプラムの幼少期を描くつもりだ。プラムは幼少期をこの地で過ごした。彼が残した足跡をこの目で確かめておきたかった」と昨日、押川教授は語った。

押川教授は、『ゲリラの家族』『人間の大地』『すべての民族の子』『足跡』『ガラスの家』などのプラムディヤ作品を日本語に翻訳してきた。「それらの翻訳は五年間で1万部が売れた」と押川教授は説明した。

押川教授はプラムディヤゆかりの地の訪問を終えると、アリフ・ロフマン ブロラ県副知事の執務室に招かれた。アリフ副知事は押川教授をブロラ名物サテの食事に誘った。

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http://www.infoblora.com/2016/10/dari-jepang-ke-blora-profesor-noriaki.html

元県会議員でもあるアリフ・ロフマン副知事は押川教授にプラムディヤのTシャツを手渡した。「押川典昭氏のブロラ訪問を歓迎している。これはプラムが世界的に知られた人物であることを意味するからだ。今回の訪問がブロラにとってもよい影響を与えてくれることを願っている」と同副知事は話した。

JPNN.COM, 16 Oktober 2016
Susun Biografi Pramoedya, Profesor Jepang Blusukan di Blora




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