社説:忘れ得ぬ悲劇
2015年8月11日付『コンパス』紙6面
70年前に起こった出来事だ。しかし、この悲劇は今もなお忘れ去られることはない。まさしく人類史上に残る暗黒の一ページとなっている。
この悲劇の規模はおぞましいほどの犠牲者数に表れている。1945年8月6日、アメリカが広島に投下した一発目の爆弾「リトル・ボーイ」によって、14万人の命が奪われた。その三日後である1945年8月9日には二発目の爆弾「ファット・マン」が長崎に投下され、7万4千人から24万人が犠牲となった。このうち軍人は150人に過ぎず、犠牲者の大半は民間人だった。
つまり、3日間で少なくとも21万人が亡くなったのだ!この数字には数万人に上る負傷者は含まれていない。例えば、長崎では7万5千人が負傷している。また、数千人が放射能が原因で病気を患ったり、後日に亡くなっている。加えて、一体どれほどの人々が心理的ストレスに苦しみ、トラウマなどを負ったのか、その数は定かではない。
言い換えれば、それら二都市に投下された二発の爆弾はすでに永遠に忘れえぬ記憶となっているのだ。これが地上に初めて-そして、最後であることを願う-投下された原子爆弾である。
私たちはこれら二都市に投下された原爆は両陣営が不可避とした戦争の論理的帰結であると考える。日本への原爆投下に関して、当時のアメリカの指導者たちが表明した理由についても同様だ。彼らはこう語る。原爆は第二次世界大戦を終焉に導き、結果としておよそ百万人のアメリカ人が救われた、と。この見解は真実としてアメリカ国民にそのまま受け入れられている。
だが、歴史を紐解けば、日本の降伏を後押ししたのは、第一に原爆投下があったからではなく、長崎への原爆投下のおよそ11時間前にソ連と連合国が手を組んだことにある。当時、150万人のソ連軍が日本の傀儡国家である満州領土へ侵入した。ソ連の軍事行動によって、日本は三方面同時に部隊を配置せざるを得なかった。
いかなる理由であれ、この人道的悲劇はすでに起こってしまった。その恐怖は記憶のなかに生き続け、広島、長崎のみならず、日本国民にも影を落としている。そればかりか、世界中の人々にとっても同様である。
私たちは過ちが起こらないことを、そして、爆弾やその他の種類-例えば核など-の爆弾を投下するという過ちが二度と繰り返されないことを望む。これは単に人間は残酷な生き物であると示しているに過ぎないためだ。私たちはまた、いかなる爆弾であれ、爆撃の犠牲者となることがいかに悲惨で恐ろしいかを国連を含めた世界の指導者たちがはっきりと認識することを望む。だからこそ、爆弾なき世界について単に議論の俎上に載せるだけではなく、それが実際に実現されなければならないのだ。
Kompas, 11 Agustus 2015
Tajuk Rencana: Tragedi yang Tak Terlupakan
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