社説:リー・クアンユーとその遺産
コンパス(2015年3月24日)

リー・クアンユー氏を失ったのはシンガポール国民だけではない。世界もまた同時に、このカリスマ性かつ先見性に富んだシンガポール建国の父を失った。

リー氏(91)は今年2月上旬に肺炎で入院し、昨日月曜未明に息を引き取った。彼が残したものは、発展した経済と規律ある未来志向の社会を持つ国だった。

現在にシンガポールに目をやれば、勤勉で規律正しい国民、汚職に反対する役人、確固たる経済インフラなどが思い浮かぶ。これらを作り上げた建築家こそが、建国の父であるリー・クアンユー氏に他ならない。同氏が国民にとっての青写真を描いていたことは想像に難くない。

ケンブリッジ大学で法学を修め、1954年に人民行動党(PAP)を結成。リー・クアンユー氏は確信に満ちた足取りで、政治家としてのキャリアだけではなく、国民の将来もを切り開いていった。1959年の選挙で勝利して以降、その後36年にわたって首相を務めた。

1963年にはマレーシアの一員として安定の道を模索したが頓挫。リー氏は1965年8月9日にシンガポールを独立させた。

リー氏は、勤勉であれと呼びかけるなど、国民に対して大きな信頼を抱いていた。そうした信頼のもとで、自著『From the Third World to First—the Singapore Story 1965-2000』(邦訳『リー・クアンユー回顧録』下巻)で述べた様に、リー氏は自らが信じたものを証明した。シンガポールは世界で最も豊かな国のひとつとなった。

もちろん成長に伴って、新たな発展を迎える場合もある。政治的信条の面でシンガポール国民がどれほど同質化しようとも、民主的な暮らしを望む者もいる。政敵に対して繰り返し厳しい態度を示してきたリー氏ではあるが、権力に関しては自制を働かせた。1990年、リー氏は31年にわたって首相を務めた後、ゴー・チョクトン氏に権力の座を明け渡した。その14年後、首相の座はリー・クアンユー氏の長男であるリー・シェンロン氏に引き継がれた。

残された記録から、リー氏はおそらく民主主義の実践に関しては偉大な指導者であると認知されている。彼が残したものとしては、能率的な政権、投資を呼び込むための低い税金、優秀な学校、安全できれいな道路などが思い出される。これらは当然、シンガポールを最も安全な街のひとつとするための重要な要因となった。

私たちは隣国として、建国の父なきシンガポールが今後も成長し、地域の平和と発展に貢献するよう願っている。仮にアメリカのバラク・オバマ大統領がリー氏とアジア太平洋の政策について話し合いを持ったとしても、同様の見解を伝えるはずだ。なぜなら、リー氏は視野の広さと見識の深さに定評があるからだ。

リー氏の死去は自著『One Man's View of the World』(2013年、未邦訳)で述べた通りのものとはならなかった。しかし、この点を除けば、リー氏は称賛に値する偉大な遺産を残してこの世を去っていった。
 
Kompas, Selasa, 24 Maret 2015
Tajuk Rencana: Lee Kuan Yew dan Warisannya