2015年4月4日にイワン・ファルスの名古屋公演が大決定!という訳で、イワン・ファルスの来日回数について記した資料をまとめてみました。

【1】"Iwan Fals Goes International", Citra, No.240/V/31 Oktober -6 November 1994
1994年にスズキという日本人に招待され、弟のレオと共に日本に1週間滞在。ライブは「盛り上がった」と本人は語る。お土産として尺八と三味線を渡される。


【2】“Iwan Fals Bukan Jago Kandang”, Gatra, 17 April 1995.
1995年、東京とパリの2都市で行なわれる音楽祭、1995年トウキョウ・ハロウア・フェスティバル委員会の招待を受けて、1週間東京に滞在。渋谷の多くの若者が集まる場所で、イワンは2度にわたって出演を要請された。

【3】『インドネシア ニュースレター』(Vol. 1 No. 16 / June. 20, 1995)
「去る4月彼は2度目の来日をし、3ヵ所の会場で公演を行なった」、および「この8月の来日公演にむけて練習にうちこむ日々を送っている」との記述あり。また、冊子末尾には「イワン・ファルス再来日決定!今度は待望のバンドを引き連れて日本上陸!」として、「アジア国際音楽祭inしらたか95」(8月6日)と渋谷クラブクアトロ(8月8日)での公演の紹介もあり。

【4】『ラティーナ』1995年6月号
1995年4月8日渋谷クアトロで行われた「フェスティバル・春」に出演。「インドネシア人の数は予想外に少なかったが、結構日本人の中でもファンがいるようで、彼のステージを待ち望んでいた人も多かったようだ。今回のステージはイワンにとって日本初公演」であったという。4月11日に行われたインタビューも収録。

【5】『ポップアジア②‐ブラック・ミュージック・リビュー7月号増刊号』(1995年7月31日発行)。
4月に行われた「フェスティバル春」に参加。「昨年夏の山形県白鷹町の『アジア国際音楽祭』に飛び入り参加して以来2度目の来日。東京での正式な公演は今回がはじめて」。「4月8日の渋谷クアトロのステージ」との記述もあり。

【6】村井吉敬『サシとアジアと海世界』コモンズ、1998年。
「渋谷のライブハウスQuatroは燃え上がった」「Quatroのコンサートで、イワンはそう言っていた」との記述あり(具体的な時期は不明)。

【7】“Gonjang Ganjing Iwan Fals”, Newsmusik, Maret 2002.
「『...1995年、日本のコンサートAsian (Music) Exchangeでイワンのファンが熱狂する姿をこの目で見ている』と、ここ12年来のイワンの音楽仲間であるイワン・ノールサイドは語った。イワンは過去に、スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド(日本、1998年)、韓国(1999年9月)、そして2000年8月15日に日本のサン笠寺ホールで開催されたインドネシア独立55周年音楽公演(Pergelaran Musik HUT RI ke-55)に招待されている」。

【8】「MELAYU BEAT」(個人ホームページ)
1997年、東京・お台場で開催された野外コンサート「お台場Do Don' Pa!/ザ・ベスト・オブ・アジア・バグース!」にイワン・ファルスが出演との情報あり。

【8】「nukunuku(温温)な日記」(個人ブログ)
20周年となった2010年のスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドで「インドネシアの超有名歌手イワン・ファルスに会い、たどたどしいながらもインドネシア語で話した」(2010年8月24日付けエントリー)との記述あり。
1998年(平成10年)第8回公演出演者にイワン・ファルスの名前が掲載(なお、2010年の出演者にイワン・ファルスの名前はない)。

【まとめ】
上記の情報がいずれも真であると仮定すると、イワン・ファルスの来日はこれまでに7回(1994年、1995年2回、1997年、1998年、2000年、2010年)。2015年4月4日の名古屋公演はイワン・ファルスにとって5年ぶり8回目の来日となります。ただし、これはあくまでも手持ちの資料や情報をもとにした現時点での暫定的な結論にすぎません。今後新たな情報が入り次第、随時更新していく予定です。

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