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シャルリー・エブド紙に掲載された風刺画:「笑いすぎて死ななかったら、むち打ち100回の刑だ」(左)と預言者ムハンマドを同性愛者として描写(右)。出典はこちら

2015年1月9日付レプブリカ紙社説「野蛮と文明」の翻訳です(レプブリカ紙は1993年に創刊されたインドネシアのイスラーム系有力日刊紙)。1月8日にパリで起きたフランス週刊紙「シャルリー・エブド」銃撃事件について論じています。

社説:野蛮と文明
レプブリカ(2015年1月9日)

1月8日木曜日、イギリスで発行されたほぼ全ての印刷メディアが、フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」の編集部に対する襲撃をトップニュースとして報じた。それらの報道では見出しに様々な表現が用いられていた。

例えば、ガーディアン紙は1面に「民主主義に対する攻撃」との見出しを掲載。デイリー・メイル紙とデイリー・テレグラフ紙は「自由に対する戦争」、デイリー・ミラー紙には「野蛮」との見出しが付けられていた。これらメディア各紙が強調したのは、今回の風刺紙社襲撃は野蛮な行為かつ表現の自由の侵害であり、現代の文明社会にそぐわないものであるとのメッセージだった。これがおそらく彼らが伝えようとしたメッセージの要点だろう。

フランス警察当局は昨日までに実行犯のひとりが自首したと発表する一方で、その他2名の容疑者の身元もすでに特定している。実行犯の名前を見ると、複数のメディアが放映したことで広まったビデオに映る襲撃時の様子も含めて、彼らがイスラーム教徒であるとの見方が支配的だ。

シャルリー・エブド紙に確かにイスラームやそれに関連する人物、もしくは他の宗教やそれに関連する人物を揶揄する風刺漫画をたびたび掲載してきた。預言者ムハンマドの漫画も、不適切なポーズをしたものも含めて、複数回にわたって掲載された。この風刺紙は過去に、リオのカーニバルに参加するローマ法王の漫画を掲載したこともある。これはバチカンを治めるローマ法王にとってはあり得ない行為である。

このような物議をかもす漫画を数多く掲載した事で、シャルリー・エブド紙は様々な層からの脅迫を受けてきた。しかし、彼らは「Liberte(自由)、Egalite(平等)、Fraternite(友愛)」という標語を口実に、脅迫や異論に耳を傾けることはなかった。その自由がたとえ他者を侮蔑し嘲笑するべきものであったとしても、表現の自由こそが全てであるためだ。

一方で、個人の自由との口実によって、他者の命を奪う行為を正当化する事はできない。ましてや、今回の殺人は両陣営が対立する戦場で起こった訳ではない。実際には国連憲章第7章第51条に記載されているように戦時中であっても規則は存在している。

預言者が残した足跡はどうだったのだろうか。預言者の物語をひもとけば、ムハンマドは自らを侮辱したクライシュ族を、彼に毒を盛ろうとした者も含めて、すぐさま殺害しようとはしなかった。ムハンマドは当時、高貴な人格を示すことで、より多くは英知に溢れる方法を取った。ムハンマドを憎む者たちもやがては心を開き、そればかりか逆に、イスラームの布教活動を最前線で支援するようになった。

預言者を含めた宗教に対する侮蔑には立ち向かわなければならない。しかし、私たちもまた、殺人を含むテロ行為を宗教の名のもとに行えば、人々の間にイスラームに対する誤解を生じさせ得ると自らに言い聞かせる義務がある。暴力とテロ行為からは、イスラーム的品行の本質を理解してもらうといった効用は決してもたらされない。

今問われているのは、今週水曜日にテロリストたちがシャルリー・エブド紙の編集部で行なったように、殺人を犯すことで、ヨーロッパ社会のイスラームに対する認識が改善されるのか、という点だ。

西側諸国、とりわけヨーロッパでは当然ながら宗教を根源的なものとみなしてはいない。彼らは表現の自由を含む自由という概念により重きを置く。だからこそ、彼らに宗教が根源的なものであると理解させるためにも、体系的かつ熟慮を重ねた取り組みがなされなければならない。

ローマ法王フランシスコがどのようにして憎しみの連鎖を断ち切ろうと世界に呼び掛けたのかに注目したい。憎しみとは民族、宗教、文化の違いを踏まえた平和的な共存の根幹を破壊するものに過ぎない。

イスラームとは、その語源が「平和」であるように、平和に満ちた教えであると周知させることは、どこにいようとも全てのイスラム教徒の責務である。現代の文明社会では表現の自由を尊重し、高い倫理とモラルを伴った文化を尊ぶ。野蛮な行為や軽々しく他者を貶め、嘲笑する行為など決してあってはならない。

Republika, Jumat, 9 Januari 2015
Tajuk: Biadab dan Beradab


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