社説:アジア・アフリカ会議60年記念式典に思う
コンパス(2015年4月11日土曜日)

1995年のアジア・アフリカ会議の成果であるバンドン十原則は、急速な勢いで駆ける現代世界にあって、今もなお意味を持ちうるのだろうか。

こうした疑問が浮かぶのも当然のことだ。AA会議は60年前に開催された。当時の世界情勢は現在とは全く異なる。世界は二極体制、すなわち東西陣営、共産主義と資本主義に支配されていた。帝国主義や植民地主義の影響もまだ色濃く、数多くの国では独立を果たせぬままに、貧困、無知、不平等が広がっていた。人種差別を理由とした多くの対立も発生していた。

こうした状況がインドネシアの提案と主導によるAA会議の実現を後押しした。バンドン十原則にまとめられたAA会議の成果には、その全てが反映された。当時の世界情勢が会議の成果に命を吹き込んだのだ。特筆すべきは、バンドン十原則の誕生によって、AA会議参加国(29カ国)が冷戦という両極体制の圧力から抜け出せたことだろう。彼らは東西陣営のいずれをも選択することなく、バンドン十原則の指針に則って、自らが進むべき道と戦略を選択した。

60年がたった今、世界はすでに変わった。冷戦の終結を受けてソビエト連邦が崩壊すると、世界は民主化の波に一掃された。多くの国々が信奉する新たな価値観が誕生した。二極化から多極化へ。軍事力のみに頼らない世界的な勢力拠点も数多く存在する。人道的価値観の尊重および基本的人権の保護が重要かつ必要であるという認識は一層の広がりを見せた。世界の経済情勢もまたすでに変化している。

つまり、世界は変化したのだ。良い方向に変化したものもあれば、悪化したものやこれまで同様に悪いままであり続けるものもある。AA会議に参加した29カ国の中には、今もなおその成果を「享受」できていない国も多い。イエメンを例に挙げれば、同国の現状は内戦の巻き添えになるなど悪化の一途を辿っている。リビアの現状も同様だ。シリアに至っては崩壊の危機に瀕している。アフリカ諸国には、民族・部族間の紛争に苦しむだけではなく、経済的困難や様々な疾病に襲われる国も数多く存在する。

これは過去にAA会議で締結された崇高な目標が実を結ばなかったことを意味しているのだろうか。ましてや、パレスチナが経験しているように、植民地化は現在に至るまで存在し続ける。政治的植民地化はおそらく以前ほど多くはないだろう。しかし、経済的植民地化に関しては明らかに現実のものとなっている。冷戦が消滅すると、テロに対する戦いがそれに取って代わった。

おそらく過去にAA会議を主導したインドネシアはバンドン十原則に再び息を吹き込み、その精神を実現させる上で道義的な責任を担っている。式典の開催だけでは不十分だ。

Kompas, Sabtu, 11 April 2015
Tajuk Rencana: Merenungkan Perayaan KAA


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