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インドネシア雑記帳

ブログ「インドネシア人の本音」別館-インドネシア・メディア翻訳+管理人のアッチョンブリケ(備忘録)


インドネシアでは今もK-popが流行しており、自国の音楽産業が活況を取り戻すには至っていない。そんな中、日本のボーカルグループであるアタック・オール・アランウドが、4月8日水曜日にジャカルタ・タムリン通りのアネックスビルでコンサートを開催した。さほど多く聞かれている訳ではないが、彼らはどうやら熱狂的なファンを抱えているようだ。アタック・オール・アラウンド(AAA)ファンのひとりであるエドゥリは今回のコンサートのチケットを一か月前から購入していた。お気に入りのアーティストを間近で見られるようにと、エドゥリと2人の友人が手に入れたのは60万ルピアのVIPチケットだった。彼は普通、テレビや「Youtube」を通じてAAAの曲を聞いている。 ...

日本の安倍晋三首相が先ほどカリバタ英雄墓地を訪れた。この訪問はアジア・アフリカ会議60周年行事の日程に合わせたものだ。安倍首相はカリバタ英雄墓地の訪問で、日本出身のインドネシアの英雄である衛藤七男の墓前でセレモニーと献花を行なった。衛藤七男はインドネシア国軍を助けたインドネシア独立戦争時の英雄として知られる。 ...

世界的な原油価格の下落によって多くの国が救われることが明らかになった。日本は輸入の減少と輸出の増加によって多額の利益を得た国に含まれる。もっとも、こうした原油価格の下落といった外的要因は日本の経済成長の持続性を保証するものではない。しかし、暫定的ではあるが、日本は欧米諸国含めた先進諸国を襲う経済不況に対する懸念から解放されることとなった。日本は2015年3月の貿易収支で、2012年6月以降で初となる黒字を記録した。 ...

1995年のアジア・アフリカ会議の成果であるバンドン十原則は、急速な勢いで駆ける現代世界にあって、今もなお意味を持ちうるのだろうか。こうした疑問が浮かぶのも当然のことだ。AA会議は60年前に開催された。当時の世界情勢は現在とは全く異なる。世界は二極体制、すなわち東西陣営、共産主義と資本主義に支配されていた。帝国主義や植民地主義の影響もまだ色濃く、数多くの国では独立を果たせぬままに、貧困、無知、不平等が広がっていた。人種差別を理由とした多くの対立も発生していた。 ...

アジア・アフリカ地域の諸民族は、ともにヨーロッパ民族による植民地支配の犠牲者となるなど、多くの歴史的類似性を持つ。これら歴史の類似性から、自国の現状の改善や変革をより効果的に勝ち取るべく連帯を望む共通意識が生まれた。こうした点が示されたのが、1955年にバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議だった。 ...

1964年7月21日、シンガポールは祝賀ムードに包まれていた。数千人のマレー系の若者たちが預言者ムハンマド生誕を祝うために、その日の朝からパレードを開催していた。日が沈み始めると、辺りの様子が騒がしくなった。その時、マレー系の若者の一団が、道端でパレードを見ていた中国系の若者と小競り合いを始めていた。 ...

イワン・ファルスが最後に日本でコンサートを行なってから20年が過ぎた。今年、この伝説の歌手が「Symphony for Harmony」と銘打った慈善公演において、再び桜の国で歌声を響かせる。このチャリティコンサートは団体「Dompet Dhuafa」と在日インドネシア大使館の協賛を得て、2015年4月4日土曜日に日本・名古屋市の愛知県体育館で開催される。 ...

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